原罪と女性無罪
キリスト教の原罪
突然ですが、キリスト教には、原罪というものあるそうな。
原罪(げんざい、英語: original sin[1], ラテン語: peccatum originale[2])は、キリスト教内の西方教会において最も一般的な理解では、アダムとイヴから受け継がれた罪のこと。
(ここまで)
最初の人間のアダムと、妻イブは、楽園に住んでいたのに、イブが蛇にそそのかされて禁断の果実を、もぎってモリモリ食べたのが始まり。
智慧が付いたイブは、夫のアダムを共犯者にするため、果実をたべるように勧め、そのせいでアダムも原罪をおうことになってしまう。
怒った神は、男には労働の苦しみを、女には出産の苦しみをあたえて楽園から追放する。
で、今に至っているらしい。
つまり、現世では犯してないけど、先祖が犯した罪、生まれながらの罪、みたいなもんでしょうか。
生まれてきたときにすでに罪穢れているという考え方、どう頑張っても消えない罪。
原罪。
キリスト教界で、女性をギュウギュウに抑圧されるのに使われた、原罪。
辛い労働を課せられているのは全部、イブのせい、女のせい。
しかしながら、新約聖書といい、昔話の毛の生えたような逸話で、GNP10パーセントをせしめてきたバチカンの腕はすごいわ。
逆原罪な作品
話は変わるけど、西原理恵子さんの『パーマネント野ばら』。
西原さんの漫画は苦手なのですが、この作品は別です。
閉塞感がある僻地といっていいほどの地方が舞台の、行き詰まりながらも、あつかましく生きている女性たちのお話です。
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パステルカラーのどん底人生
投稿者 Lehman Packer 投稿日 2010/4/23
このマンガは、ど田舎の海辺の町に生きる、女達の涙と笑いに満ちた人生を描いたものです。主人公のなおこは、子持ちの出戻りで母親の美容院を手伝っています。一見すると登場人物の中で一番まともです。
タイトルを”永遠の野バラ”という美しい意味だと勘違いしていたのが、美容院の店名だと知ったとたん、急にドドッと場末感を感じました。登場人物も、いかにもどんづまりに吹き溜まった連中です。
男は薬中でノタレ死んだり、お勤めに入ったり出たり、電線売ったり、女に刺されたりする奴らです。女はフィリピンパブのママやら、ジユータンパブのママやら、いい歳なのに今だにやりたい盛りで、さんざん男で苦労したのに、また男をくわえ込んで苦労します。
世間的には、相当どん底の世界を描いてると思いますが、そんなどん底を底抜けに明るいギャグにしてしまう力が、西原さんのマンガにはあります。
(一部抜粋)
この漫画に出てくる女性たちは、だれもかれも、積んでいる人生をおくっている女性ばかりです。
貧困、家庭不和、生活保護の不正受給、ニンフォマニア、笑いながら明るく男性を騙すバーの女の子たち、
世俗の泥が明るく乾ききり、主人公をはじめ登場する女性たちの行動のベクトルの原点が「生存するため」という生き物にとって不可侵にして神聖な本能に忠実であるがゆえに、むしろ神聖にみえました。
泥に水晶を沈めても、水晶には泥が染みないように、どんなに世俗垢にまみれ罪に汚れても、女性は水晶のように清浄で神聖なものであることは絶対的に変わらない。逆原罪みたいな神聖さを感じましたね。
妄想に逃げる癖のある主人公が、ラストで、
「私、おかしいのかな」
しかし、主人公の母はこう答えます。
「あんたも、私も、世間の要求する女を演じてきたのだから、これからは好きに生きさせてもらお」
この言葉を吐ける方は、いったん泥をくぐった後、開き直って創作世界で解脱した西原さんしかいないなとおもいました。
何が言いたいかというと、何をしようと何がろうと、女性であるといいうことが、すなわち神聖なことなのです。
逆原罪なのです。
ことに最近、そう思うのです。
というわけで、どれだけ背後が黒かろうが、マリリンも無罪です。
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