8世紀の人生 天皇・皇子
今度は8世紀の人生に誘導。このころ、僧籍にはいってただろうな、と考えていたが間違い。
天皇さんでした。
※前世ではなくアカシックレコードにつながった可能性もあります。
1 天皇さん
桓武天皇
桓武天皇(かんむてんのう、737年〈天平9年〉- 806年4月9日〈延暦25年3月17日〉)は、日本の第50代天皇(在位:781年4月30日〈天応元年4月3日〉 – 806年4月9日〈延暦25年3月17日〉)。諱は山部(やまべ)。
平城京から長岡京および平安京への遷都を行った。また、践祚と日を隔てて即位した初めての天皇であり、桓武平氏の始祖となる
刺繍の縫い取りも派手やかなオレンジ色の砲に黒い冠。立派な髭。口癖は「佐伯をよべ」すこぶるワンマン。信念と行動の塊。
・側近を連れて、河川工事を見学している場面。
・最後は、大勢の僧侶に囲まれての往生。
・そのまま上昇し、中間世へと進む。
後悔もなく未練もない。
信念を貫いた、理想を抱き、ただ意志と行動をもって、理想に向かって邁進し、貫いた人生。
別に後悔することはなかったけど、
「前の人生のほうが、神霊的には意義があったな」
という感慨がおこる。
前の人生=どうも、蜂子皇子らしい。
ここで催眠から、帰ってきた。
蜂子皇子(はちこのおうじ)
崇峻天皇の第一皇子にして聖徳太子の従兄弟。
出家した後は弘海、能除大師と称される。
出羽山の開祖、羽黒修験道の祖。
紫色の目をしていたという眉目秀麗の従兄弟の聖徳太子と違い、すこぶる醜い容貌だった。
今日も肖像画がのこってはいるが、、大変失礼ながら、人間にみえない。
皇子は従兄弟の聖徳太子に仏教を学ぶ。
父帝が曽我氏に暗殺されるなど危険が生じたので、聖徳太子のアドバイスに従って無抵抗主義を選択して出家。側近をつれ丹後国の由良(現在の京都府)から海を船で北へと脱出、歴史の表舞台から消えた。
母妃は、蜂子皇子を追うものの、ついに、合流はかなわず、福島県川俣町や月館町にとどまり、養蚕と機織を伝えた。
ついに、母子は生きて会うことはなかった。
皇子は、現在の山形県鶴岡市由良にて、神がかかった八人の乙女が笛の音に合わせて踊り差し招いているのをみて、近くの海岸に上陸した。
このときのエピソードによって、この浜は、八乙女浦とされている。蜂子皇子は上陸後、皇祖神武天皇を導いた三本足のカラスに導かれて、羽黒山に登り羽黒権現を獲得、出羽三山の開祖となった。
洞穴に篭ること3年。
途中、狂女に邪魔されながらも修行を成就。人々の多くの苦悩を取り除いた事から能除大師と称されるようになった。
異様な肖像画がのこっているが、顔の醜さは、多くの人の悩みを聞いた結果、
そのような顔になったとも言われている。
享年91歳とも80歳とも言われている。
対する天皇さんは、日本の国の物質界の頂点にたった。
自己実現と自己表現の塊のような人で、才華ゆたかに、権力を行使し、あたらしい秩序と国を作っていく意志に燃えていた。
即位の折に、血統的に中近東の影響が強かったのか、牛を屠る儀式をおこなっている。
準初代であるという意気を放つ、英雄的な気質の天皇さんだった。皇室における中興の祖の一人と言っていい。
平城京、平安京を作る一方、東北地方を侵略し蝦夷を服属させるため、坂上田村麻呂を征夷大将軍とする軍をおくり、東北に依然と継続していた旧文明との決着をつけた。
エネルギーは異性にもむかい、后妃の数がおおく、皇子皇女の数も多かったため、一部の皇子を臣下におろし、この旧皇族の皇子たちが平を名乗り桓武平家となり血統が裾野にもひろがっていく。
宗教界からの圧迫を憎み、都を京都へと移し政教分離を試みる。反面、最澄=伝教大師の清廉さを寵愛し、遣唐使の船に乗せ国費留学させるなど、なにかとバックアップしている。
名君ではあったのだけど、天皇さんと、その父帝さんは、かなり無理をして皇位についた。天皇さんは天智天皇系の血統で、臣下降籍も同然の傍系の生まれで、本来なら天皇になることは、なかったのだ。
しかしながら、天武天皇系の宗家が絶えたので、本来傍系にいて臣下にいた父が即位したので、皇太子になった。皇位継承にかかわる闘争のなか粛清された皇族もあり、怨霊の亡霊の祟りをおそれ続けた人生だった。遷都は、怨霊対策だったともいわれている。
天皇という頂点にのぼり、罪悪感に苦しみながらも、理想をかなえるためには、劫をつむのも、やむなしという感じの、そんな人生だった気がする。
天皇さんは、権力で物質と人を動かして、世界を変える為に、それはそれは、頑張った。
一方、皇子は、無一文で無抵抗で皇位継承権を放棄して,辺境に埋もれていたものの、神霊的には、現世の枠組みをこえ、見えない世界の頂点にのぼった。
深い信仰と愛念と信念が神霊界を動かし、病を治し、蟲害を退け、沢山の人に安寧を与えた。皇子の勢力は亡くなったあと盛んになり、認められ、今も修験道は続いている。皇子さんは、深遠なる悟りと学問、愛念が神を動かして、無力ながらも、世界を変えた。
ただ真摯な愛があれば、天にとおれば、今世で自己実現ができなくても、無名でおわっても、世界を変えれるし、衆生を済度できる。
ともに、理想は高く、国や衆生を済度なさしめるために、はたらいた人生だったと思うけど、手段が違う。
光と影のように正反対の人生だった。
今回見てきた前世からのメッセージは、
ギリシアのお医者さんは
「一つのことを生涯続ける」、
北欧の城主さんと江戸の老中さんは
「断じて行えば、鬼神も之を避く」
ワンマン天皇さんとブサイク大師さんは、表現しきれないけど、
「人智つくせども、神智にはかなわず」かな。
ヒプノで対抗したとき出てきた人生が、予想外のところにきて、驚きました。
本当に前世だったのか、赤シックレコードにつながったのかは、不明ですが、それは、関係ないと思う。
必要な、メッセージ、貰う
再度、人生を再体験することで、答えを見つける。
それでいいのだ。