シータヒーリング ジャパンの最初の危機
初期の日本におけるシータヒーリング ジャパン
守秘義務のあるクライアントさんのことは墓場まで持っていきますが、シータヒーリングジャパンの初期のことは、それなりに時間がたったので語ってもいいと思う。
シータヒーリングは、アメリカのヴァイアナ・スタイバルさんによって開発されました。
①思考は実現する
②引き寄せの法則
①②が、スピリチュアルの二大柱だと思う。
①思考は実現する
人間の脳は面白いもので、超能力者が奇跡を起こすときに使う部分と、想像するときに使う部分が同じなんですね。つまり、想像=創造なのです。
そして、超能力者が奇跡を起こすときの脳波がシータ波なんですが、ヴァイアナさんが開発した簡単な瞑想法を使えばだれでも脳波がシータ波になるんですね。
人間の思考は言葉出来ています。
脳派をシータ波にして「想像」することで、ネガティブな思考をポジティブに置き換え、ポジティブな形に「創造」するのがシータヒーリングです。
②引き寄せの法則
同種が引き寄せあう。ガラスに同じ質量の色の違うビーズを混ぜて入れ、拡散し続けるとビーズは同じ色で集まります。同種で引き寄せあうことは、物理的にも立証されてます。
物理的な物も人も同種で引き寄せあいますから、その人の因縁やカルマがどうであれ、ポジティブな思考にはポジティブな人や豊かさが引き寄せられ、ポジティブな人生になるのです。
有利な環境だと、簡単に楽しみながらカルマを消化してゆくことができます。
徐霊したり、霊視したり、バリエーション豊かに応用ができるのがシータヒーリングです。
日本のインストラクター第一号はO先生
シータヒーリングの日本のインストラクター第一号はO先生で、ワタシは多くの受講生とともに彼女のセミナーを神戸で受講しました。
「思考パターンの変更」を学ぶ段階で、O先生が女性の生徒さんを選び、思考パターンの変更の見本を見せてくれました。
掘り下げた思考パターンは、
「私は最後に幸せになる」
だったと思います。
O先生が許可を得て思考パターンの変更をすると、女性受講生さんの顔から影が消え、別人のように変わったんですね。
これをみて、他のセラピーはいらないかもしれないと思いましたね。
初代の代表は、A松さん
A松さんは、見た目13歳、実年齢アラサーの天使の羽が生えてないことが不思議な可憐な美少女でした。そして知能の高い科学者でした。たしか、豪州での大学に留学し日本と往復していた時期で、彼女が博士論文を書いていたころだったと思う。
世界でIQが高い人しか入れないサークルのメンバーだったらしい。ダライ・ラマのお弟子さんや、世界の著名人と普通にメールのやり取りができると人づてに聞きました。
MENSA(メンサ)とは、1946年にイギリスで創設された、全人口の内上位2%のIQ(知能指数)の持ち主であれば、誰でも入れる国際グループです。
数年前、A松さんは、理解不可能ななくなり方をされましたが、一部でいわれてるように、イカサマとかインチキではなかったです。集団ダウンロードとかすごかったですよ。
本来なら26世紀くらいに生まれてくるはずの人が、何かの間違いで霊的に発展途上の時代に生まれてきてしまった、そういう感じの周囲とのズレというか違和感はありました。持って生まれた天才性が形になるかならないかは別として、天才とはそういうもので、世間とのズレが生じるものだと思います。
第一回インストラクターコース
A松さんがアメリカでヴァイアナさんのセミナーを受講したときに、ヴァイアナさんから乞われてA松さんが日本の代表になり、シータヒーリングジャパンを立ち上げました。
ヴァイアナさんを日本に招いて、第一回インストラクターコースが開催され、60人近いインストラクターが誕生しました。
インストラクターが増えたので、頻繁に日本各地でセミナーや実践会が開催されるようになりました。
当時のシータヒーリングジャパンの仕組み
当時のシータヒーリングジャパンの仕組みとして、シータヒーリングジャパンの公式サイトはA松さんが管理しており、インストラクターはパスワードを使い、セミナーの告知ができる仕組みになっていました。
セミナーのテキストの印刷や管理は本部のシータヒーリングジャパンが一括して行っており、インストラクターがセミナーを開催する場合は、テキストをシータヒーリングジャパンから購入し、受講料の1割をシータヒーリングジャパンに収める仕組みになっていました。
売上から一部を本部に上納するというシステムは、日本独自のものでした。アメリカ本国も他国も、テキストはダウンロードして各自が製本し、セミナーの売り上げは上納する必要はありませんでした。
A松さんには理想があり(たしか、学校をつくるだったと思う)、当時のインストラクターは、そのシステムに対して不満もなく決まりに従っていました。
初代代表の突然の辞任とシータヒーリングジャパンの最初の危機
ところが、あと1か月で年度が替わるという時期に、突然にA松さんは代表をやめると言い出し実行したのです。アフリカ(だったと思う)の奥地に行き、シータヒーリングを伝道するため日本を離れ連絡が取れなくなりました。
理想はすごいのですが、3月いっぱいでサイトも閉鎖、日本語のテキストはA松さんが翻訳したものですが、テキストのデーターを残してもらえず、各自勝手にしてくださいと、と一方的に通達されたのです。
当時のインストラクター仲間の間に恐慌が走りました。
足場にしていた業界が、忽然と消えてしまう危機に面したのです。
インストラクター同士でメールでやり取りをしながら、ホームページビルダーで即席のサイトを作り、O先生はテキストの翻訳を仕上げてデーター化するなど、各自ができることをやりました。
新代表は存在の根源が決めた
まず、新しい代表を決める必要がありました。
「自分がやります」という方もおり、その決意を本部にFAXを送ったそうですが、最終判断はヴァイアナさんが「存在の根源」に問い、二代目はM崎さんになったわけです。
M崎さんは人柄もよくバイリンガルで、新代表としてベストなかたでした。
なんとかサイトもテキストも間に合い、空白を作ることなくつなぐことができました。
公式サイトもプロの仕様になりました。
新しい体制がスタートし、今までの上納を廃止し、テキストはサイトからダウンロードして各自が製本するという各国と同じシステムになりました。
それぞれの運命
その後、ワタシは、あることがあり(これはお話しできませんが)、ヒーリングやセラピーなどの世界から引退しました。
風の噂に、シータヒーリングが米国で裁判になったと聞きました。州の裁判で敗訴し、本拠地を他州に移したとも聞きました。
ホメオパシー、小林製薬もそうでしたが、本当に役に立つスキルや技術は抹殺しに来るんですね。フリーエネルギーや空気で走る自動車などを開発した技術者は不審死しています。
グローバルな軍需産業や製薬会社など巨大産業にとって、業績を邪魔する人や利益を生まない技術は邪魔なのです。
あれから十数年がたった昨年、A松さんの死去の報道を、何かの検索に引っかかって腰を抜かしました。あんなに驚いたことは人生でなかったです。てっきり、どこかの研究所の所長になってると思ってました。
O先生はかなり前に病気で死去されました。今もMixiにO先生のアカウントとコミニティの痕跡が残ってるのが、泣けます。
A松さんとO先生のお二人のご冥福をお祈りします。
今、シータはどうなってるのだろうと検索してみた結果、Mさんが管理していた公式サイトは消滅し、あの頃のインストラクター仲間の消息は、数人を除いて分からなくなりました。
放棄されたSNSやmixiの残骸を分析すると、ある時期までは機能してたっぽいですね。
インストラクターだった方々も、プラクティショナーだった方々も、不思議と、シータヒーリングの履歴を抹消してますね。なんでだろう。
各自、元気でいると思いますが、人生で一度は交差した人たちがその後、会うことがなく人生がおわるというのも何かさみしいものです。
形があったものが組織であれ関係であれ、露のように消えてしまう。
人生ってそんなものなのかもしれません。
しかし、みんな、どこに行ったのだろう。
あれから、何があったのだろう。
再び、第七階層に登れば教えてくれるのかな。