もう一人のヒロヒト天皇
出口王仁三郎の道名は尋仁
20世紀最大の霊能者は、大本教の聖師・出口王仁三郎ですが、
王仁三郎の、道名は、
尋仁
ひろひと、とも読みます。
道名は、大本教と提携していた紅卍会の、シャーマンによる自動速記による命名ですので、勝手には選べません。神がかった自動速記によって天から降りてきたお名前が、尋仁 だったわけです。
非物質界の天皇・ヒロヒトであり、裕仁天皇の雛形みたいな方であったかたでした。
数多くの予言を残し、芸術を残し、後に教祖となった弟子を育て、神事をおこない、さらには弾圧受けたりして怒涛の生涯をおくったかたです。空海の転生といわれてまふ。
たしかに、性格的にも似たとこがりますね。
新興宗教であった大本教が躍進し、一時は信徒800万ともいわれるまで拡大しました。が、1935年から弾圧が始まり、王仁三郎をはじめ大本の主だった信者さんたちはすべて逮捕され、活動も禁止、施設は強制的に差し押さえられ、活動を停止させられます。
大本教は日本の、王仁三郎さんは、裕仁天皇の雛形みたいな関係だったといいます。
大本教と日本
大本 代表
尋仁(王仁三郎)
日本 代表
天皇 裕仁
以下は、大本公式サイト【日本語】トップから
大本
昭和10年の第二次大本事件。
綾部、亀岡の両聖地、全国の大本の施設は残らず破壊。
亀岡の至聖所・月宮殿はダイナマイトで爆破。
日本
10年後、日本は敗戦。日本全国が、大本聖地が破壊されたと同じ姿となり、占領軍が進駐、その統治下に入った。
聖地が取り上げられた“型”の実現とのこと。
大本
昭和10年12月8日未明、数百の武装警官による一斉検挙が開始。
松江(島根)宍道湖(しんじこ)辺の大本別院にいた出口王仁三郎教祖も、武装警官の急襲にあう。
日本
昭和16年12月8日未明、真珠湾(しんじゅわん)の奇襲が始まり第二次世界大戦勃発
大本
昭和20年9月8日、大審院の判決によって、無罪が確定。
日本
昭和26年9月8日、サンフランシスコ講和条約によって終結。
大本
王仁三郎、二代教主らの未決勾留期間は6年8カ月(昭和10年12月〜17年7月)。
日本
連合軍による日本占領も6年8カ月(昭和20年9月〜27年4月末)。
以上は、大本さんの公式のサイトからお借りしました。
ほかにも符合することが多すぎるとのこと。
当時の大本教は日本の、尋仁=王仁三郎は裕仁天皇の、ひな形だったらしいですね。
今は、そのお役目は終わったようですけどね。
大本
教祖の王仁三郎は、逮捕され裁判の結果有罪。
6年8か月の投獄の後、不敬罪を残したまま1942年に保釈。
1945年敗戦のため大赦。
1947年に刑法がかわって、不敬罪は消滅
日本
王仁三郎は、冤罪で6年8か月間冤罪で投獄。
王仁三郎の服役期間の6年8か月→68年間、とすれば、
・冤罪で名高い東京裁判開始が1946年
・1946年からの68年間が終わるのは2014年
・2014年になり、朝日新聞が、ねつ造を認めました
英国BBCが、慰安婦とは、売春を職業としてた女性たちであり、強制性はなかったと報道。
慰安婦の冤罪を、政治金融を支配している元になってりる英国が認めたのは大きいと思います。アメリカの奥には英国があります。敵が中国になったからだと思います。
世界の覇権国家はアメリカであり、軍事的に他国を圧倒してますが、金融や政治の世界の中心は英国なわけです。
もちろん、日本の冤罪を認めだしたのは良心ではなく中国が主敵になったからでしょう。きょだいになりすぎ、英米の覇権に対して挑戦する姿勢を見せています。
慰安婦の次は南京大虐殺の真偽、そして、第二次世界大戦が見直される流れになるでのを期待したいです。冤罪のまま処刑された方々の名誉が回復するのを願ってます。
援護射撃は、さんざん日本の恩恵を受けてきたアセアンではなく、インドから起こってほしい。