もしかして、女系相続だったのかな
エジプト王朝
エジプト王朝では、近親婚が盛んでしたね。
娘の王女が、父の妃になることも普通にありました。父王の妻になった王女の母親も、父王の近親であるケースも多く、ポディション的には、王妃と側室の間の地位にあったみたいですね。そして、父王と娘の妃が生んだ子供には、もちろん王位継承権が生じます。
兄妹、姉弟の婚儀も普通にあって、最後のファラオのクレオパトラ7世も、名義的に形だけ、弟と結婚していますね。
古代から続いていた王朝は、見ようによっては、女系の血を薄めないように努力しているように見えますね。
物質世界は、男性の君主によって統治されているのだけど、霊的には、女性の祭祀王が統治し管轄している、みたいな、二権分立みたいな世界だったのかも、と思ってしまいます。
王朝の交代はあっても、超古代の太古からの文明を引き継ぎながらきてたのが、エジプトだったし、太古は、霊的なことが主で、物質的現実的な世界での支配が副、のような時代が長くつづいたと思うんですね。
女系社会では、家長は女性でシャーマンでしたし、卑弥呼みたいに当主が霊能者、弟が現実界の統治をする、みたいな感じで、当主の夫、であることが、ファラオになる条件として大切だったのかなあ、と、ぼんやり考えたりすることがあります。
時代が変わってきて、徐々に、物質世界の統治が優位になてきたので、男系相続、男性家長の支配に移ってきて、妻はあくまで配偶者にすぎなくなったのかなあ、と。
日本の皇室の場合
で、天皇家なんだけど、初代の神武天皇様は、九州から関西に来られましたね。奈良の橿原に宮をたて、天下を定め、初代天皇になりました。
いわゆる九州からやってきた征服王朝なんですが、、入り婿に近かったのかなと。
メタタライスズヒメ(媛蹈鞴五十鈴媛命)という、近畿の王家というか豪族のお姫様を、皇后にしましたね。
以後、皇后にになれる女性は決まってて、皇族か、それとも、この、ヒメタタライスズヒメ(媛蹈鞴五十鈴媛命)の実家の子でないとだめだったみたいですね。
ようは、この古代王朝の血を引く女性か、女性の血を引く皇女が妻にならないといけない仕組みだったのね。
丹波の籠神社
天皇家と同じように古い家柄の一つに、丹波の籠神社がありますね。
ここのお家は、奈良時代には、空海の彼女の眞名井御前=如意尼をだします。
もともと天皇の第4妃だったのだけど、突然、仏教に目覚めて、空海の弟子になり出家しました。
後宮でのいざこざが嫌になり逃亡→出家→神呪寺の開祖に
神呪寺の開祖になったんだけど、おそらく、この家の、代々女性が受け継いできただろう霊的な継承は、眞名井さんの死でピリオドを打ったのかな、と。たぶん、この時、師匠である空海に、古代から引き継いできた霊的なものを、いろいろ渡したと思うんですね。
代々受け継いできた守護神や、如意宝珠みたいな玉とか、いろいろね
古代日本もまた、女性の祭祀王が代々引き継いできたもの、というのがあったとおもうのよね。
天皇家に話を戻すけど、
古代から奈良時代までの皇后になる方は、皇族の妃の中で、一番霊能力の高い方が選ばれてた気配がありますね。
逆に、霊能力の高い女性を妻にしているから、という理由で天皇になる人もいたと思うんですね。神功皇后が、そうだと思ってます。だから、夫が亡くなった後も、天皇の代理として、あれだけのことができたんじゃないでしょうか。
この時代の皇后さまは、天皇さまと、ほとんど同じ権威を持ってた風に見えますね。
この時代、父親が違えば結婚できましたから、皇后はたいてい、天皇の異母姉妹が多かったです。
天皇家が代々うけついできた、霊的な何かを、女性皇族が守ってきたのではないでしょうか。
だけど、奈良時代に、天皇家に乗り込んできたのよ。正田美智子さんみたいな、小和田雅子さんみたいな女性が。
光明皇后
光明皇后(こうみょうこうごう、大宝元年(701年) – 天平宝字4年6月7日(760年7月27日))は、奈良時代の人物。聖武天皇の皇后。藤原不比等と県犬養三千代(橘三千代)の娘であり、聖武天皇の母である藤原宮子は異母姉(つまり聖武天皇は同年齢ながら甥にあたる)。名は安宿媛(あすかべひめ)。光明子(こうみょうし)、藤三娘(とうさんじょう)ともいう。 なお、「光明皇后」というのは諡号や追号の類ではなく通称で、正式な尊号は天平応真仁正皇太后という。
また、皇族以外からの皇后の先例とされた。
(ここまで)
この方、ご慈愛アピールがすごいのよねえ。
施薬院をつくって、貧しい人に薬をあたえて治療を受けれるようにしたとか、書いているだけど、どうも、琵琶の木を植えてて、琵琶の葉っぱをつかって湿布するくらいのレベルだったらしいんですね。
しかも、病人が増えた理由は、奈良の大仏を作るために、水銀の公害が発生し、水俣レベルの公害がおこったから、とも言われています。
この時代、建築するおり、水銀をつかうので、今も法隆寺はアマルガムの濃度が高いみたい。だから、保存ができてるみたいなんですが、河川に流したであろう水銀や重金属の害で、公害病が、蔓延した可能性がありますね。
皇族でない皇后
この方は、皇族出身でない皇后になります。
見ようによっては、天皇家の霊的な女系の部分の横取り、しいては、裏からの天皇家の乗っ取りという形にも見えます。
夫の聖武天皇を支配下に置き、4人の兄たちとやりたい放題をするさまは、父、母、双子の妹の4人の小和田家の人々と組んで、やりたい放題をしてきた雅子さんに似ています。
雅子さんと同じく、光明皇后さまは、男子を生むことができませんでした。
雅子さんがやろうとしているように、自分が生んだ娘を女帝にするのに成功します。そのために、ほかの妃が生んだ親王を粛清しています。現世的な男系の系統も、断絶させようとしました。罪深い人です。
今までも女帝はいたけど、女帝になった方は、皇女にして皇后、次の天皇が育つまでの間の、あくまでつなぎとしての即位でした。
無理やり女帝にした娘ってのが、道鏡の件で、騒ぎを起こした称徳天皇さんです。最後は、皇統を廃し、道鏡に禅譲しようとしましたが、突然「病」によって亡くなりました。
今までの皇室の女系のつながりを断絶して、自分の女系が続くようにしたともいえる事件でした。即位させた女帝は、称徳天皇を称しましたが、生涯独身だったので、お子様もなく、天武系は断絶したんだけど、当時の日本の危機感は半端ではなかったと思いますね。
この女帝の死後、臣下皇籍してた天智天皇の血統の男性官僚を、皇族に復帰させ即位させるという、ウルトラCを使って、皇統は守られました。
奈良時代の「女性セブン」
光明皇后伝説
御慈愛深き、信仰深い光明皇后は、施風呂を施した。
ホームレスの体を洗うことを発願したのだ。
ライ病の患者が最後にやってきた。皇后は、ライ病患者の膿を口で吸い取った、ライ病患者は、仏に変わった。
「これは、ないわー」というお話し。
美智子さま聖女伝説を流布した「女性セブン」の奈良バージョンですね。
御寺を建てるにあたって、もっこを、女官と、かついだっていうパフォーマンスもあったはず。
「仏のように素晴らしい女性だから皇后になった」アピールでしょ。
「日本で一番素晴らしい女性だから皇太子妃になった」美智子さまアピールや、「日本で一番優秀な女性だから皇太子妃になった」雅子さんアピールの先駆なんでしょう。
女性天皇、天皇家のっとり、公害、ご慈愛アピール、中身のないパフォーマンス、拡散される捏造エピソード、
光明皇后には、正田美智子さんの聖女伝説、小和田雅子さんのご優秀伝説に通じるものがあるわ。
日本史のウルトラC
この時代の場合、光明皇后による、天皇家の霊的な部分、女系の部分の乗っ取りを防ぎ、かわす方法があるんですね。
それは、女系相続から、男系相続に完全に移行すること。
霊的世界の比重を、完全に物質世界にシフトすること。
そうすると、皇后とはいえ、妻の一人にすぎなくなるのね。
だから、古代から続く王家から嫁いだ祭祀王であったであろう眞名井御前も、ただの側室で終わりました。
で、ヤケクソになったので、空海に帰依したのかな、と。代々受け継いできた何かを空海に渡したのかな、と。
個人的な考えだから、正誤はさだかではないけど、奈良時代の本を、久しぶりに読み返してみて、そんな風に感じました。
あの時代、文にしない、できない、目に見えない霊的な部分での、せめぎ合いみたいなものってあったと思うんですね。
祭祀を放棄した祭祀王
旅行やレジャーを慰霊の旅とか、ごまかした人たち。
で、いつものことだけど、明仁さんも、ナルちゃんも、祭祀王なんだから、祭祀してよ。
慰問や慰霊の旅は、祭祀じゃないのよ(怒)