輝きが終わるとき
マリリン・モンロー
マリリン・モンローの最晩年、最後の出演映画「女房は帰ってきた」のラッシュを見たとき、映画会社のエライさんたちの間で恐慌がはしったそうな。
なぜなら、マリリンの圧倒的だったスターのオーラがなくなってたから。
その後、マリリンは睡眠薬中毒、あるいは、自殺、あるいは、暗殺されて亡くなりました。
オーラを失ったのは、もう寿命が尽きて御霊の何割かが霊界へ帰ってしまい、守護神も帰ってしまったからだと思うんですが、あるとき突然、カリスマ性が、特別な何かが、消えてしまうことがあるんですね。
凡庸化した美少女
村上春樹氏の作品で、氏の学生時代に周囲に、赫々たる力を誇った美少女の同級生のことに触れている短編の作品がありました。
美少女は、美貌と赫々たる影響力をもって、周囲を打ち負かし、そして勝ち続けます。
そして、氏と同級生の学生時代は終わり、それぞれの人生を歩んでいくのですが、ずいぶん長い年月が経った後、氏は、女性と結婚した男性と偶然に知り合います。
そして、会話の中で、美少女だった女性が、今では赫々たる威力を失ったことを知らされます。その原因は、ご夫婦に、お子さんが授かりましたが、不幸な事故で失うという不幸があり、その後、スポイルされきった美少女だった女性は乗り越えられなかったそうです。
御主人さんは、
「今の妻にあっても、わからないでしょう」
「でも、今の妻のほうが好きなんです」
かつての美少女が、大きく変貌したことを示唆しておられました。
フィッツジェラルド「冬の夢」
「特別なもの」が「突然に消えてしまう」というお話は、フィッツジェラルドの短編小説のなかでも、ありましたね。
というか、この人の作品は(村上春樹氏にもいえことなのですが)、一貫して同じ骨格のストーリー、同じテーマ、同じノスタルジーを、書き続けている作家でした。
フィッツジェラルドの短編のなかに、「冬の夢」という作品があります。
才能は有るけどまだ大成していない時期に、若者は高嶺の花の金持ちの美女に、うたかたの恋の相手をしてもらうのですが、さんざん振り回された挙句に、捨てられてしまします。
その後、若者は事業家として成功しますが、第三者から女性の近況をしります。
女王のように輝かしかった女性は、今では輝きを失い、容色も衰え、夫に邪険にされ、子供たちとの関係に逃避しているとの近況を聞き、
「何かが終わった」
と、感慨深く悲しむのですが、人によっては、こういう形で「若いころ」が終わることが、あるんだなあと思いました。
アメリカの青春の終わり
マリリンの死と同時に、神族としてのスターが輝いてたハリウットの青春もおわったなあ、と思います。
セックスシンボルとして、マドンナさんが出てきましたが、「女神の代理品」と、「もっとも成功したビジネスウーマン」の違いは、大きいですね。
マドンンさんのばあい、時代をつくるのではなく、時勢の流行や周囲を見ながら取り込み、作っていっているのが、ビジネスの仕掛けが透けてみて、熱狂しきれない部分がありました。
サラ・ブライトマンかとおもったら、マドンナさんだった、っていうPVとかもあったりして、その時々の流行りを取り入れるのですが、文句のないカリスマであり、スターであるのですが、ゴージャスなんだけど、消耗品なんですね。
デビューの頃の奇抜なファッションも、実は、有名なディスコにきてた女の子のマネだと聞いてます。
マドンナさんが、ヌード写真集を出す前、日本では、トップアイドルの宮沢りえちゃんが、ヌード写真集をだして大さわぎになり、アメリカでもニュースで取り上げられてたみたいです。意外に、向うの方たちは日本をみているらしく、マドンナさんが、ヌード写真集を出したタイミングと、関係ありなのかなあ。
さっと、取り入れて、オリジナル以上のものにしてしまうという意味では、マドンナさんは、プロなんでしょうけどね。
www.youtube.comただ、10代の子にターゲットを絞って、10代の子のマネしても、、、、、なあ、、、、と思う作品もあったりします。
世間や子供にこびるマドンナさんではなく、超人的な大人のマドンナさんが、見たいんですけど。
レディーガガさんの悪口いっているマドンンさんも、見たくないわあ。
クイーンなんだから、ドーンと構えててほしいのよね。
もちろん、強く賢く美しく、フェミニズムの成功例でもあり、凄い方だとは思います。
ただ、若い姿のまま固まるのではなく、若者の仲間になろうとするのではなく、若者が「頑張れば、ああなれる」と目指すような、手の届かないレベルで輝く圧倒的な大人でいてほしいんですわ。
以上