お見送り
イランの事情
イランでタンカーが爆破された事件があり、世界の注目を集めていますが、
「イランが悪い」
と非難してるのは、アメリカ(CIA,ネオコン)、イギリス、イスラエル、サウジアラビア。いかにも、お察しなこのつながり。
サウジアラビアは、もともと、ラクダ以外に財産がないという小さな部族「サウード家」が、英米を背景にして王様になり、サウジアラビアが誕生(サウジ家のアラビアという意味)。豊かな石油をど独占してあれだけのお金持ちになった王家。国もピカピカの新品。
ジョーク
https://curazy.com/archives/46878より
[息子] 親愛なる父へ
ベルリンの生活はとても楽しいです。いい人ばかりで、僕はここが大好きです。
だけど父上、先生や多くの生徒が電車で通っているというのに、僕だけが純金のフェラーリ599GTBで通学していることが少し恥ずかしいんです。 [父] 親愛なる息子へ
さっきあなたの口座に20億円振り込んでおきました。
あまり父さんを困らせないでおくれ。
それで電車を買いにいっておいで。
愛してるよ、父より
対するイランは、古代から続く巨大な歴史をもち、ペルシア帝国などが地盤になっている、文明の老舗。
京都と東京以上に、かけ離れており、仲よしになるのは、工夫が必要なようです。
イランは、パーレビ王朝になって、日本と明治天皇を範とする政策をすすめ、豊かになり、近代化が進みました。
70年代のイラン。アメリの写真です、といわれても通用しますね。
ミニスカートに、気軽な男女交際。左から2番目の黒髪の女性は、煙草をもっているのかな。
しかし、革命がおこって王家が亡命。
その後は、ホメイニ師が最高指導者となり三権の上に君臨し、ホメイニ師の死後も神権政治が引き継がれ、イスラムの戒律が、そのまま法律になった「北朝鮮の宗教版」ともいうべき、超厳しい社会だといわれています。
・ラマダンの間は、食欲を無駄にそそるということで、アンパンマンの顔にモザイクがかかる。
・棄教すると死刑。
・肌を露出すると死刑。
・同性愛は死刑。
・駆け落ちすると死刑。
・婚前性交は死刑。
ピロシキーズさんによる動画
https://www.youtube.com/watch?v=YO9k2maGvog
https://www.youtube.com/watch?v=09bXjNghHmU
ロシア人の2人組によるyoutubeチャンネル。
今回は、イランのコスプレイヤーさんをゲストに迎えてのトーク。
イランの、未婚の男子はどうするのか。
答え、
「動画や映像を見る」
あるいは、
「飼っているヤギや羊を女性のかわりにする」
とのこと。
こういうケースは大日本帝国でもあったらしい。知人から聞いた話。
大日本帝国海軍の事情
太平洋の島で、「第二次世界大戦を、最後まで戦った部隊」があったそうな。
最後まで戦っていたのは、別に戦意があったからではなく、あまりに部隊が小さいので米軍から無視されてたみたい。
当然、小さい部隊なので、慰安婦を置いてくれない。
なので、島にいたヤギに、慰安婦の代わりをつとめてもらっていたらしい。
米軍に回収され島を撤退するとき、そのヤギが見送りに来たそうな。
ウクライナの場合
第二次世界大戦の折、ロシアに捕虜にされた陸軍兵士の場合、人によってはウクライナに送られた人もいたらしい。
この方たちは、大穀倉地帯を抱える、ウクライナの農場で働いたのだけど、現地は、みんな女性ばっかり。
ウクライナにかかわらず、ソ連の男性で欧州戦線に生かされた男性兵士は、「優秀な」ドイツ人に片っ端から戦闘で殺され、捕虜になっても、優生学で動いているナチス・ドイツ軍に殺されたらしい。なので、戦中も、戦後も、男性がいない。
現地のウクライナの女性は、強制労働をしている日本人兵士に対して親切で、食べ物をくれたり、大人の関係になる場合もあったという。
そのまま関係が続き、妻もいるし子供もできたしで、ロシアや、旧ソ連領に残った日本人兵士もいたらしい。
でも、多くの日本兵士は、帰国した。
日本兵士が、日本に帰るときは、おなかの大きな女性たちが見送りに来て、手を振っていたそうな。
スペインの場合
有名な話ですが、スペインのコルア・デル・リオに、ハポン(日本人)姓をもつ人が600人くらいいるらしいですね。
1614年、仙台藩の伊達政宗の家臣支倉常長が率いる慶長遣欧使節が滞在したことで知られる。
コリア・デル・リオには Japón(ハポン、日本)の姓を持つ人が約600人おり、使節団の一員として来訪したまま現地に留まった者の子孫とする説がある。
(wikiより)
・コリア・デル・リオ周辺で苗床を作る稲作農法がある。
・ハポン姓の幼児に蒙古斑が見られること
・ハポン姓が使節団の滞在以前の洗礼記録に見られない
ハポンさんたちは、「自分たちは、日本の侍の子孫だ」と誇りをもっているらしい。
支倉使節団のなかの誰かが、現地の女性と関係を持ち、現地に残ったんでしょうね。
ハポンさんの家祖となった方は、出向する支倉一団の船を見送ったと思われます。
幸せだったんじゃないかな。