・レメディー|中毒と病気

中毒と病気

嗜好品によるソフトな中毒に関しては、あまり、潔癖になる必要なないかな、と思います。ちいさな中毒によって、巨大な病を回避していることもあるからです。

基本的に、人間は2つの病気にかかれないとされています。

精神病の方が好転すると、風邪をひいたり、身体へ疾患が移動することが多いです。これは、病が浅いほうへ移動したからです。

つまり、ごく軽い病にかかることで、巨大な病がアクティブになることを避けられてるケースもあると思います。

 

治癒の法則と病の進行の法則

病は、浅い部分から深い部分へと、抑圧するたびに移動するようです。

乱暴なたとえなのですが、病気はこの順序で深い部分に移動するといわれています。

・皮膚と腸→肺→五臓→血骨→精神、

細かく表記すると長くなるので、おおざっぱに書くとこんな感じです。

あせもや湿疹などを薬で抑圧した後、疾患は肺に移動し咳、ぜんそくなどの肺の疾患へ移行します。

そして、肺の疾患を抑圧すると、つぎは、臓器に、さらに抑圧すると鬱などの心の病になり、、、という風に、病は浅い臓器から深い臓器へと移動していくと教わりました。

 

治癒するときは、この順番を逆に遡っていきます。

・精神→血骨→五臓→肺→腸と皮膚、

感情を抑圧しすぎている人が、レメディーをとると、抑圧から解放され怒りだし、怒りのレメディーをとると怒りが消えて胃炎がおこり、胃炎のレメディーをとると胃炎が消え、つぎに下痢がおこり、下痢のレメディーをとると、今度は皮膚に湿疹ができ、、、という風に病は浅い方へ浅い方へと移動して治癒していきます。

最後の皮膚疾患に移行した場合、ここを辛抱すれば治癒するのですが、細胞の再生と入れ替わりは結構長くかかります。アトピーや蕁麻疹のような疾患が、2年くらいかかる場合もあります。過去の病を一通りさかのぼって最後は皮膚にでて、そして高熱を出しバクテリアを焼き切ってから完治することが多いようです。

なので、レメディーをとりつづけているうちに、昔の疾患がでてくるということは、治癒に向かっていると考えることもできます。

細胞は覚えていて、「あの時の病気だ」とわかります。経験済みです。

 

軽度の中毒が重篤な病になることを救っている可能性

話を中毒にもどしますが、現代人は、タバコ、コーヒー、など、軽度の中毒になることで、発狂などの巨大な病気にかからないようにしているところもあるかもしれません。

なので、毎日コーヒーを飲むとか、軽度な中毒は、あまり、気にしないほうがいいとおもいます。ただ、それが要因で、行き詰まったり強調されてきたなら、レメディーなどによる排毒が必要かなと思います。

仮にコーヒー中毒が治っても、べつのものに中毒すると思います。チョコとか、ミルクとか、あるいは、摂取物のほかには、マラソンとか、絶食とか、音楽とか、いろいろですね。

つまり、中毒は、今より軽いもの、無害なものへと移行することはできますが、消し去ることはできないと思います。

たとえば、麻薬からアルコールへ、アルコールからコーヒーへ、コーヒーからチョコレート、、、など、あるいは、ギャンブル中毒からネット中毒へ、ネット中毒からマラソン中毒へ、、、という具合に、より安全なソフトな中毒に移行させる、という考え方でいいのではと、思います。

次の中毒になる受け皿を用意したほうが治りやすいと思うんですね。

遺伝的要素も関係するので、中毒するという体質はレメディーをとりつづけても、終生変わらないでしょう。「中毒」を、前向きで発展的なものに移行していくのが、セラピストの腕なのかなとおもいます。

土壌にあるパターンは、マヤズムのレメディーをもっても、消し去ることはできないとおもいます。

 

軽い病にかかることで苛酷な環境で生存できている

汚染のない時代の人を今の現代社会に連れてくると、発狂したり発病するそうです。

携帯電話やパソコンなどの普及により、電磁波がすごいことになってるようです。さらに、空気中には毒物が含まれ、雨に空気中の有害物質が混じるので、水も土壌も汚染されています。

我々が、いちおうは、普通に暮らしているのは、汚染が身体と精神の一部になっているから、心身がより軽い病にかかっているから、かな、と思うことがあります。なんらかの形で、軽度な病にかかることで、巨大な病や大量死を避けているように思います。

ソフトな中毒のはずが、心身に影響をあたえ、邪魔をしている場合や、明らかに有害な水銀などの有害物質は解毒したりする必要があるとおもいますが、潔癖になる必要はないとおもいますね。

残念ながら、汚染は、急には解決しません。

今から人類総力を上げて頑張っても、2~3世代はかかるでしょう。我々は、汚染とともに生きており、汚染を一部にして生きているのが、我々の世代です。

むしろ、毒のまったくない身体、ピュアすぎる心になると、かえって、現代社会で生き辛いのではないかと思うケースが多くみました。

自然派の方たちのなかには、心身の解毒と汚染に立ち向かうのが精いっぱいで、人生の意義が果たせず足踏みしているケースは多いのではないでしょうか。

雑音のない快適な社会生活や人生を送るために始めた、心身の解毒や生活スタイルが、宗教のような信仰のようなものになり、日々、苦行しているふうに見える方もいます。ご本人が幸せならいいのですけど、手段が目的になってしまうと問題かなと思いますね。

 

風の谷のナウシカの世界「我々は腐海とともに生きてきた。滅びは我々の暮らしの一部になっている」

原作の『風の谷のナウシカ』のラストで、ナウシカの前に、放射能や毒物に汚染された大地と生き物を、最終的に取り換える計画を推進してきた「地球の救世主たる光の主」が姿を現します(ワンワールドの、イルミナティっぽいです)。

この存在は、代々、地上の王に技術を与えながら支配し、地球の浄化が進んだ暁に、生き物を交換する計画を推進してきました。

ナウシカに対して、前時代の善意で計画され作られ推進された「地球の大地と生物の浄化」の協力の要請するのですが、

ナウシカは

「我々は腐海とともに生きてきた。滅びは我々の暮らしの一部になっている」

と、言いはなち、彼らの言う「滅び」を選び、交渉を拒否するのです。

そして、ナウシカを「ママ」とよび従っている殺人兵器である巨人兵に命じ、巨人兵のエネルギー砲をぶち込み、前時代の善意でつくられた計画も施設も何もかもぶち壊すのです。

巨人兵のエネルギー砲により、浄化した後の大地に復活するはずの、純粋な人間の卵や生き物たちの卵が破壊されます。

ナウシカは、旧時代の理想と善意でもあり、ナウシカの生きている世界の巨大な弊害でもある施設と存在を破壊したのです。西洋的な単調な善悪の観念を凌駕した宮崎氏の偉大さが現れているラストシーンだと思います。日本人にしか書けない結末だと思います。

現代にも、一部、通じるところがあると思います。

 

汚染の是非の問題ではなく、汚染とともにあるから、汚染のある社会環境で生きていられるということもあるとおもいます。心身のデトックスが完全な人は、今の時代、今の地球上の文明では生きていけないでしょう。

個々の性格においても、トラウマがあるとか、性格が歪んでいるとか、いろいろありますが、迷惑かけあいながら暮らしているのが人間です。

生きていると「多少、腹の立つこと」があって、成長したというケースが多いと思います。言い換えれば、犯罪行為は別として、他人に対しておこなった「多少、腹の立つこと」のせいで、相手の方も成長しているのです。

数千種類あるレメディー達は、「別に欠点があってもいいんじゃないのか」「多少毒があってもいいんじゃないのか」を、気づかせてくれたりします。

病の根幹となっている事象や人間関係は、その多くが簡単には消滅するわけでもなく、その多くはできません。毒物にまみれた世界でも個人の免疫を上げれば病気は立ち上がらないし、変な人が周囲にいても、いい人をやめて言い返したり仕返ししたりできるようになり平気になれれば、治療は必要ないのです。

もちろん、次代に健康と環境を残すというのは、我々の世代の巨大な課題ですけどね。

 

ブログ・でれでれ草「皇室の影武者制度とタブー」

小室圭と婚約内定した眞子様はニセモノ




画像を分析すると、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。 ①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③朝鮮系と思われる女工作員が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。

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