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レメディーと歴史上の人物|Nit-acニタック@メアリー1世
Nitium-acidum ニトリック・アッシダム(略Nit-ac)硝酸
Nit-acニタックは、恨み憎しみのレメデイーである。
この人たちは、昔のことを忘れず不満と憤懣を抱えており、怒りっぽく人を非難する。謝られても絶対に人を許さない。
許すことができないのは、憎しみと被害者意識がこの人のプライドを支えているからである。うらみつらみが、事実であれ妄想であれ逆恨みであれ、憎しみに依存して生きている。
あの人のせいで私は不幸なのだ。
あの人のせいでこうなった。
人のせいにしているかぎり、自分を見なくてすむ。ニタックにはそういう人に必要である。
この人たちは、鋭い刺すような痛みをもっている。そして、酸のようにひりひりする分泌物がある。そして、体は冷たい。
・刺されるような痛みがある。
・恨みを持っている
・苦悩深い
・分泌物がひりひりしている
・冷たさで悪化
・暖かさで好転
の基調があれば、皮膚疾患も、精神の不調もNit-acニタックが、いいかもしれない。
愛であれ、恨みであれ、他人への感情を生きる理由にして、生きる支えにしている人は、自分の人生を生きておらず、他人の人生を生きているのと同じなのである。
三島由紀夫の遺作「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「豊穣の海」である。
20歳で亡くなる主人公が、次の巻の主役になり、一部の主人公の松枝清顕と親友だった本田が、松枝の輪廻転生を見届けるという輪廻転生の物語である。
最終巻の4部作のラストにおいて、80歳になった本田は、1部作で20歳で病死した主人公の松枝の恋人の聡子と会うのである。聡子は1部で、出家して門跡になっている。
本田は、4部のラストに置いて、自分が見てきた親友の転生をかたるも、その門跡が「そんな人はしらない」と、否定されてしまい、本田は、自分の人生はなかった、何もない所に来てしまった、と感じてしまう。
ずっと、親友の松枝ばかり凝視し続けてきた本田は、神秘性を分かち合うはずの聡子に、松枝を否定されたことで、今までの人生が無になってしまう。他人ばかり凝視し続け、自分の人生を生きていなかった、ともいえると思う。
Nit-acニタックは、他人を憎悪しつづけ凝視し続けることをやめ、自分の人生を取り戻し、前に進むことができるかもしれない。
Nit-acニタックが必要だった人がいる。
イングランドの女王、メアリー一世である。
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メアリー一世・メアリー・チューダー
メアリー一世
本名:メアリー・チューダー
性別:女性
職業:イングランド王
生年月日:1516
父:ヘンリー8世 イングランド王
母:キャサリーン・オブ・アラゴン スペイン皇女
病歴:卵巣癌
家系の病歴
父:梅毒、敗血病、過食、肥満
母:癌
弟:先天性梅毒(の疑いあり)
母方の家系に精神疾患の人物多数。
精神:狂信的ともいえる信仰心はスペイン王室の血統から来ていると思われる。狭い範囲にしか通じない正義や正当性を苛烈に勇敢に実行する傾向。
父ヘンリー八世の1番目の妃キャサリンの離婚と死
メアリー一世の気質を語るのには、母方のスペイン王室を抜きには絶対に語れない。この人はイングランド女王というよりもハプスブルクの末裔という要素が強かった。スペイン王室の特徴は、狂わんばかりの、という形容詞が、よくあてはまる。
・狂わんばかりの情愛
・狂わんばかりの信仰心
・狂わんばかりの妄執
実際に狂った女王もいるのだ。
さて、メアリーである。
「ひどい身なりである。聖女としては上々だが、年寄りふけて見える。美人でなく小柄で太っていて弛んでいる。」
スペインの外交官は38歳のメアリー1世を、こう称している。声が極端に低く低音で、ひどい近視であった。
メアリー・チューダーは、1916年にイングランド王ヘンリー8世と王妃キャサリンとの間に生まれた。
ヘンリーとキャサリン夫妻には、沢山の兄弟が生まれたが、成人したのはメアリーだけであった。ほかに庶子の兄弟がいたが、王位継承は嫡子にしか認められないため、自然、メアリーが次の女王として戴冠するのは確実であった。
父ヘンリー八世の2番目の妃アン・ブーリンの登場
運命が狂い始めたのは、アン・ブーリンという女官が新しく宮中に入ったことにはじまる。
アンにすっかりまいったヘンリー王は、キャサリン王妃を離婚し、アンを新しい妃にむかえた。これによって、メアリーの運命は暗転する。失意の中、蟄居を余儀なくされていた不幸な王妃はなくなった。癌であった。メアリーは母の死に目にも会えなかった。いくつかの形見が残されただけであった。
この気もくるわんばかりの苦難をささえたのは、神への信仰であった。
さらにメアリーは気もくるわんばかりの屈辱を味わった。
アンによって王位継承者から身分を女官に落とされたのだった。アンが生んだエリザベス王女付の女官にされ、最後は、宮殿の片隅に追いやられてしまった。
メアリー王女とアンとの確執は壮絶で、アンは、自分の生んだエリザベスを「世継ぎの君」と呼ぶよう強制したし、「あの子が私を殺すか、私があの子を殺すかだわ。」と周囲に語った。
しかし、アンが先に死ぬことになる。
2度目の懐妊が流産におわり、ヘンリー王の望む男児を上げられなかったアンは、王の寵愛をうしなった。
ヘンリー王はアンに不義密通の罪状をでっちあげ断頭台へと送った。
メアリー王女は、宿敵の末路を見届けた。
このとき、メアリーは神の力と愛を一層つよく信じただろう。
父ヘンリー八世の3番目の妃によって苦境を脱出
新しい王妃ジェーン・シーモアはメアリーはげ実的で聡明な女性だった。
メアリーに同情的で、ヘンリー王に、メアリーの身分を王女に戻すよう、やさしく懇願した。ヘンリー王は新しい妻の優しい望みを喜び、妻の願いをかなえた。そして、王女のタイトルと宮中へ復帰がかなったのだった。
しかし、男児を出産し、ヘンリー王の望みをかなえたジェーンは産後の肥立ち悪くなくなってしまう。
以後、父王は次々に妃を変えていった。生涯6人の妃を取替え、うち2人を処刑台におくっている。
父の死後、弟のエドワード7世が即位。
しかし、羸弱で、偉業を残すことなく雪が解けるように儚くなった。
死因は先天性の梅毒ではなかったかといわれている。エドワード7世の死後、後継者問題がおこった。
あたらしい女王にノーサンバランド公が、ジェーン・グレイを擁立したのだった。クーデターまがいの、この行為に国中が憤慨した。
メアリーはこの機運にのり、ジェーン・グレイ派を退け王位につく。37歳であった。
フェリペ2世との結婚
王位についたメアリーは、母の実家であるスペインハプスブルクのカール5世の息子フェリペと結婚した。
フェリペは27歳。後に領土を広げに広げ、沈むことのない帝国といわれたスペイン帝国に君臨する人物である。結婚するにあたって国内から反対と不満が沸いた。この結婚が帝国の一部になってしまい、イングランドの独立が失われるのではという懸念が起こったのだった。
押し寄せる人々の前でメアリーは、
「代表者を送ってほしい。結婚に反対であるなら自分は生涯独身でいるから」
と演説した。結局国民はこの結婚を認めた。
神への奉仕としての粛正
メアリーは長い長い苦難の末に遂に王座と夫を手に入れたのだった。これを神への祈りと信仰の結実であるとみなしたのは当然であった。そして、恩寵に応えるよう働きに働く。
メアリー女王にとって治世とは国家財政の運営でもなく、外交の均衡を図ることでもなく、ただ、カトリックの信仰と威光を世にしろしめしてゆくことであった。この人の本質は、政治家ではなく宗教家だったといっていい。
当時イングランドにかかわらずヨーロッパでは様々な宗派に分離したキリスト教が、互いの骨肉を食い合うような抗争が後をたたなかった。多くの人々が拷問、火刑で命をおとし、それぞれの人がそれぞれの信仰する神に召されたのだった。
メアリーは実に景気よく異教徒を焚きあげた。
イングランドの人々は、迷惑なまでの信仰のあつい女王を「ブラッティー・メアリー」血まみれのメアリーと呼んだのだ。
スペイン的な熱狂的な信仰と異端に対する粛清はイングランドの人々には馴染まなかった。スペイン人であった夫のフェリペも、妻のやりすぎをたしなめている。
しかし、メアリーの気も狂うばかりの熱愛に、メアリーが望むほど神は応えてくれなかった。
フランスにあったイングランドの飛び地であるカレーをうしなったのだった。この心痛は大変なもので、
「私が死んで医者が体を開いたら、心臓にはカレーという文字が刻まれているでしょう」
といったのだった。
そして、メアリーの気も狂うばかりの熱愛に、メアリーが望むほどイングランドは応えてくれなかった。
メアリーの人気は凋落し、妹のエリザベス王女に人気が傾く結果になった。メアリーにとってもエリザベスにとっても危険であった。メアリーはアンを許せなかったように、生涯エリザベスを許せなかった。エリザベスを反逆罪でロンドン塔におくるものの証拠不十分で処刑することはできなかった。しかたなくガットフィールドに蟄居させたのだった。
そして、メアリーの気も狂うばかりの熱愛に、メアリーが望むほど若い夫ドは応えてくれなかった。
もともとの性格のせいもあるが、若い夫は憂鬱で冷淡で、礼儀正しくメアリーを避けていた。大陸にある沢山の領土に視察に行かねばならないという理由で、イングランドを去ってしまう。
メアリーが幸せであったとはいえないだろう。メアリーの運は燃え尽きてしまったのだった。
そんな中、メアリーの生理がとまった。むくんだ乳房から母乳らしきものがでてきたので、妊娠したのだと有頂天になったが、皮肉なことに神がもたらしのものは、世界を統治する世継ぎでなく卵巣癌であった。
メアリー一世の死
なくなるまで、メアリーの頭は信仰のことで一杯だった。そして、無念で一杯だった。
気も狂わんばかりにアンを憎んだようにアンの娘のエリザベスも憎んだが、アンの娘に、自分の持っているもの全てを残すのだ。
家臣の中にはエリザベスを処刑するよう働きかける派もいた。瀕死の女王にエリザベスを処刑する勅令にサインするよう促したが、メアリーはサインしなかった。いかに憎くとも残っているチューダー家の直系はエリザベスだけなのだった。
もはや命が燃え尽きるのが明らかになったメアリーは、ガットフィールドに蟄居させている妹のエリザベスを呼び、今まで通りにカトリックを擁護すること、聖職者たちを保護することを頼んだ。
エリザベスがガットフィールドに帰ったのち、破産寸前の国家と宗教抗争によって荒廃した政府と宮廷を妹にのこしてなくなった。享年42歳であった。
スドックモートン卿が、メアリーの結婚指輪をもって、新しいイングランド女王のもとにむかったのは11月17日のことである。
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