逃げ切れ逆菩薩
昨今、ストーカーの被害が増えている。
最悪の場合、被害者が死傷してしまうケースがあり、加害者側が普通の生活をした一見普通の人、というケースが増えているのが、怖い。
先日、とある方とお話していて、(詳しくはかけないのだけど)精神疾患系+霊能者系の複合型の厄介な方と腐れ縁がきれなくて困っているという話だった。
知り合ってからというもの、わるいことばかり続くという。
距離を置いても、独善的な視点で祈っているらしく、生霊がすごくて、つらい、ということだった。
こういうケースを、過去何人か知っている。
こちらも詳しくかけないけど、粘着する側は、自分は正しいと思っているので、行動すべてに抑制が効かない。
執念がすごいので念力があり、思考がずれているので、誠意で祈っても、それは呪いになり、なお、どういうわけか、持続させる体力的気力的にもスタミナが、とてつもなくすごくて持続性があるのだ。
自分を中心につくった曼荼羅に他人を取り込もうとする執念が、人間離れしている場合が多い。
他人の自由意志をみとめず、自分の理想とする関係の鋳型にはめようと、それはそれは、無駄なエネルギーを使う。
さらに共通点があって、依存心が強烈であるのにもかかわらず、なんらかの救世主コンプレックスをもっていているので、依存する相手に対しても、保護意識というか、目下意識というか、「救ってあげる、守ってあげる、」という意識を持っているので、ややこしいのである。
もちろん、ご本人に悪気はない。
ただ、正義や正論は人の数だけあるのだということが、おわかりになってくださらないのである。
世界人類は60億人いるというのに、日本人口は1億2千万人いるというのに、なぜ、よりによって、この方が粘着する相手が、ナゼ自分なのか、ナゼ出会ってしまったのかがミステリー、と、皆さんおっしゃる。
スピリチュアル系の方のばあい、不幸や不運、また、それが犯罪に触れる人であっても、引き寄せたのは、自分の中に似たものがあるから、 「これも、学びなのだ」、という結論に帰一しやすく、戦い抜くとか、刑罰をあたえるという方向にはあんまり行かないことが多いので、余計に増長させる傾向があるとおもふ。
消耗が甚大なのだが、独善的な相手には通じない。
自分の時間で自分の倫理で自分の感情ですべて動くので、まわりは疲労しきってしまう。
自分を中心につくった曼荼羅におさまることが、相手の幸せと思ってるので、やっかいな形での依存状態にあるのだ。
ただ、迷惑をこうむっている被害にあっている方々にも共通するところがあり、おのおの人生の分岐点にきている方たちばかりだった。
逆菩薩、という言葉がある
こうした、分岐点にあらわれる不可思議な方は、それかも、しれない。
たいていの人の人生は、第一幕、第二幕、、というかんじに、いくつかの幕に仕切られている。
被害者の方はみな、そのテーマが終わる最後の段階にきていて、次、にいく人たちばかりだった。
古い世界、人生を捨てて新しい場所へ移るとき、逆菩薩として、こういう人に出会うような気がするのだけど、どうだろう。
早くここからでて、次、に行けという天からのメッセージなのかも、とおもうケースもあった。
そうまでしないと、もう、伸びシロのない環境で足踏みすることになるのかもしれず、追い出しのために現れたのが、この逆菩薩かもしれない。
もう一つのパターンは、 その人の生き方の指針や理想が甘かったり、ずれたりして、その理想どおりに力いっぱい独善的にがんばって生きると、こうなるよ、というのを見せているような気がするケースもあった。
加害者と被害者に、理想とする生き方、こうあるべき、というスタンスが共通点があったケースが何割かの人にあったのだ。
ストーカーの性質、言葉、主張を書き足していってもらって、主語を「私は」にかえて、Oリングでチェックすると、結構がっつりはまっていることがおおかった。
この場合は、現れた不可解な方は、歪みまくった鏡にうつった自分の未熟な部分なのかもしれない。
その修正のために、逆菩薩はあらわれるのかもしれない、。
しかしながら、菩薩とはいえ、危険があったら縁を切り、全力で逃げよう。
縁切りには、大神神社(三輪神社 奈良)がいいよ
清荒神も、いいよ
関東なら、成田不動、川崎大師、もいいよ
さあ、逃げよう