生きるとは
「明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ」
いい言葉ですね
「生きる」定義
古代のエジプトの文明圏の人たちにとって、現世とは霊界への準備期間だったらしい。
現世 50年
霊界 300年
なるべく霊界でいい生活がしたいので、現世でせっせと徳を積み劫を減らすために生きていたらしい。
ルネッサンス期の教皇たちの評伝を読んでて、昔から、そしておそらく今も、ラテン系の人たちにとって、生きる=愛 なんだなあと思いました。信仰とか学問とかほかはどうでもよさそう。
第二次世界大戦の戦記を読んでて、昔から、ゲルマンの人たちにとって、生きる=戦う ことなんだなあとおもいました。
敗戦国の日本とドイツは軍事的な拡張を封じられました。ちょっと愛国的な国粋的なことを言うとファシズムと認定され封じられてきました。
しかしウクライナ戦争がはじまり、アメリカのバイデン大統領が「同盟国のために核を使うつもりはない」と宣言したため、「アメリカの核の傘の抑止力による秩序と平和」という戦後の秩序が崩壊したのです。
ドイツ「再軍備するわ」
慢性的にロシアを恐れる欧州の防衛の期待は「強いドイツ」に向かい、フランスですら反対しませんでした。
やはりゲルマンさんは戦う民族なのです。
ウオール街のドキュメントを読んでて、昔も今も濃厚に、アングロサクソンの人たちにとって、生きる=征服開拓 することなんだなあと思いました。早く滅んでほしいと思います。
先日、女性向けファッション雑誌を美容院で一通りよんでみて、生きる=消費 にもっていこうとしているんだなあ、と、ブランド業界のベクトルを再確認しました。
昔見た映画に、1/4の奇跡というドキュメント映画がありました。
その映画のなかで、身体が徐々に麻痺し機能が失われていく重度の病気の女の子が紹介されていました。
「もし、この眼が見えなくなったら、ありがとう、っていうの。今まで頑張ってくれてたんだもの。どうして?じゃ、あんまりだよ、かわいそうだよ」
この方は、20代でなくなったんです。
号泣しました。
今も時々思い出します。