だらだら歩いていきたい
日本の歴代の政権のひな壇の集合写真があがるたび、女性が少ない、年齢が高すぎ、爺さんばかりという声があがりますね。それに比べて北欧は、、という論調は、様式化され雛形になってます。
選挙は、投票率が若年者は少なく、高齢者の方が高いことを嘆く人は多い。つまり、高齢者の判断が支配的になるのは、実にけしからんということらしい。
しかしながら、一度失敗した人や世代は免疫ができるから騙されない。
実質クーデターだった「小泉劇場」も、1度経験すると大衆に免疫ができて騙されなくなる。
だから、免疫のない一部の若い世代だけに受けただけで、石丸劇場も不発で終わったし、今の参政党フィーバーも、電池が切れるのは早いと思う。
過去を知ってる知恵のある世代の分別が、社会の崩壊や侵略を守ってるのである。
個人もそうで、人間関係とか、仕事とか、政治とか、さまざまな仕組みの真相が、時間がたって初めてわかることは、本当に多い。
いろいろ経験をして知恵がついて、真贋、虚飾を見抜けるようになり、そのフィルターで改めて過去を振り返ると、陰陽、善悪、美醜、功罪がひっくり返る時期が、人間は生きてるとどこかの段階で来るようになってると思う。
「(徳川家康曰く)重い荷物を背負って登る人生」の坂のてっぺんに来て過去を俯瞰できる時期がきたときが、人生の折り返し地点ではあるまいか。
あとは、人生の終盤に向かって、ゆるゆる下っていくだけ。
荷物をできるだけ減らして身軽になり、
ゆっくりだらだら、歩いていきたい。