日記|信仰いろいろ

信仰いろいろ

隠れキリシタン

その昔、戦国時代では、モダンな大名さんたちのあいだでは、キリスト教がブレイクしたのだ。

しかし、江戸時代は禁止されていたので、隠れてキリシタンをせざるを得ない人もいた。

この、隠れキリシタンの方々は、アリバイつくりに普通におうちには仏壇をおいてはあるのだけど、こっそりキリスト教のマリアさまとかの像を出してきては拝んでたらしい。

ばれると死罪であるから、命がけで隠れて信仰するという状態がずっと江戸時代中、続いていたのだ。

明治から今まで、第二次世界大戦中をのぞいては、基本的にキリスト教の信仰は自由になった。

堂々と信仰できるはずなのだけど、「隠れキリシタン」をしている女性に会ったという、エッセイを読んだことがある。

この女性は、昔ながらに隠れてキリスト教を信仰しているらしい。

でも、別に隠れる必要はないはず。

好きな宗派のキリスト教の教会に所属するなり、独自に信仰するなりして、自由にすればいいのだけど、「隠れて、信仰する」、というスタイルがたいせつに守っているという。

先祖代々、キリスト教の弾圧、ばれると破滅、という水圧の中で信仰してたのだけど、時間がたつにしたがって、本来の愛の実行をとくキリスト教の信義ではなく「弾圧のなかで信仰する」「隠れて信仰する」というスタイルが、この方々の、「信仰」になったのかな。

だから、自由になっても、スタイルを変えられないらしい。

だって、そのスタイルこそが信仰であり、禁止されていると同じような水圧のなかにいることが、信仰なのだろう。

 

「復活を待つ」宗教

インドのさる教祖さんが、物理的になくなった。

信者さんたちが、教祖さんの復活を信じて6週間、冷凍保存したままになっているという。

信者さんたち「教祖さんが、復活するのを待っている」らしい。

この方たちには、「待つ」ことが、信仰になるんだろうな。

少々つじつまが会わなくても、人の人生を支えているのなら立派に信仰として成り立つらしいのである。

ま、それはそれでいいんじゃないでしょうか。

以上

 

ブログ・でれでれ草「皇室の影武者制度とタブー」

小室圭と婚約内定した眞子様はニセモノ




画像を分析すると、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。 ①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③朝鮮系と思われる女工作員が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。

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