世界の終わりの中で

オカルト|世界の終わりの中で

キリスト登場

2000年くらいまえのこと、中近東に、イエスなる青年が現れた。

霊験あらたかな哲学的な霊能青年で、病気治しと啓蒙をよくし、人々に、「世界がおわる」ことを宣言していた。

さまざまな事情で磔刑にかけられ亡くなった。

で、2000年がたったけど、

まあ、なんとか世界は維持できている、今日この頃。

平安時代

平和がながく続いたとされている、平安時代のころは、実は、自分たちが今生きているこの時代は、末法の世であると信じられていた。

そして、滅びるのだという集合意識の中で生きていた。

紫式部も、この雰囲気の中で源氏物語を書いた。

滅亡するという思想のなかの、がけっぷちの中で書いた

ある意味、世紀末文学といえるのかもしれない。

しばらく時代がすぎ、たしかに、世界は終わった。

古代から続いた母系社会が終わり、武家の父系社会がはじまったのだ。

でも、世界はまだ、なんとか持ちこたえている、今日このごろ。

ルネッサンス

ルネッサンスの花が開花したイタリア、ヨーロッパ。

ここでも世紀末思想が流行った。

日時もしっかりきまっていて、1500年ときめられていた。

信じた人々は、教会や施設にあつまり、神からの、審判をまった。

でも、1500年は、騒乱激しい中も、世界は崩れなかった。

1500年は、もっとも悪名高いローマ法王、陽気なアレクサンドル6世の御世で、新年あけには、新しい橋の渡り初めをおこない、その庶子である、チェーザレ・ボルジアが、フォルリの美しい伯爵夫人、カテリーナ・スフォルツアを破り、その運が旭日のごとき登り始めた年であった。

その後、ボルジアは没落するが、キリスト教世界も、異教の世界も、なんとか無事である。

1999年

最近では、ノストラダムスの大予言がブレイクし、1999年に世界の破滅ブームが到来。

核兵器の存在によって、ありえる状態ではあった。

これは又聞きなのだけど、ある夫婦がいて、いい年になったけどお子さんがない。

つくらなかったという。

なぜかといえば、世紀末に世界は滅びるというのを信じていて、生まれてくる子がかわいそうだから、という理由でつくらなかったという。

でも、無事に21世紀になった。

そして、ミレミアム後、9年目に突入するが、騒々しい中、なんとか今日も、世界は無事である。

 

人生明日なし

歴史に名を残し、その生き方が羨望され生き方が物語にもなり、作品をのこし、不滅の存在になり、愛されている人たちは、たいてい、

人生、明日なし、

今日のみを生きている人だったりしますね。

あるいは、ものすごい不幸や苦悩から逃れるかのように、今つくっている芸術作品とか今、研究している学問とかに冒頭せざるを得ない状態で生きている人だったりする。

信長も、秀吉も、投資や組織運営は数年後、あるいはもっと先を見ているにせよ、今日このときを鮮烈にいきて、その今日が365日積み重なって、鮮烈な1年となり、その今日が一つ一つ重なって、生涯になっている。

明日のことを考えないで今日を生きるという生き方、こういう生き方ができるのは、普通は若い人なんだけど、信長、秀吉、カエサル、18世紀のフランス人、16世紀のイタリア人、メロビング王朝の人々、旧約聖書のヨショア、も含めて、こういう近視的な生き方を生涯つらぬいた人たちは、年老いた肖像や彫刻が仮にあっても、年老いた姿を想像するのが難儀である。

疫病がはやって、明日は病人かもしれない、戦争ばっかりの時代で、明日は命がないかもしれない、

絶世の美女も、あっという間に疫病に罹患して容色がおとろえることもある。

だから、今の今、一番いい服きよう、

一番好きな異性といよう、

一番いいもの食べよう、楽しもう、

あるいは作品を、作り上げよう、

生きた証に何かを残そう、

ルネッサンス期に、文化の代名詞であった、フィレンツェの名家メディチ家のなかでもっとも有名な当主、豪華公ロレンツォの詩

「青春は、美しきかな。

なれど、それは、さりゆくもの。

楽しみたいものは、今を楽しめ。

明日を、しらねば 」

超訳だけど、ある種の人々にとってのテーマソングだと思う。

ルネッサンス期は、絶え間ない戦争と、陰謀と、聖職者の堕落と、モラルの低下、疫病、の極限状態のなかで、花開いた、イタリアの青春といっていい。

天才、三島由紀夫も、戦争が深くなり、遺作のつもりで書いた、若いころの作品は人に読ませるものとしては未熟ながらも、潔癖で精錬な輝きをはなっている。彼は、ただ、自分のためだけに書いたのだろうけど、この時代を経験しなかったら、三島は、文学が趣味の典雅な高級官僚でおわったかもしれないね。

フィレンツェの繁栄は、メディチ銀行の破綻と、そのショックから迎えた、サボナローラなる修道僧の登場によって、一時、輝きを失いました。

修道僧サボナローラの指導によって、修道院の戒律が、フィレンツェを支配し、虚栄とされるぜいたく品、衣装や、芸術品も、虚栄と認定され、罪をみそぐために山と積まれて焼かれてしまったのだ。

市民の視点は、今日このときではなく、死後の審判に向けられた。

イタリアの集合意識は、分岐点を迎えたと思う。

フィレンツェという場所柄、焚書された書物や絵画の中には、レオナルドの作品もあっただろう。

レオナルドも、ミネランジェロも、自分の作品が、明日、焼かれるかもしれない、思慮のない暴徒に破壊されるかもしれない、その諦念は常にあったと思う。

その中で、やっぱり、今日は、今日の大理石に鑿を刻んだのだろうな。

人の一生は、長い歴史の中で一瞬にすぎない。

一瞬に刻まれる人は、今の、一瞬を限りに生きてるからこそ、不滅になるのかもしれない。

そんなことを思った土曜日でした。

以上

 

 

ブログ・でれでれ草「皇室の影武者制度とタブー」

小室圭と婚約内定した眞子様はニセモノ




画像を分析すると、大正天皇ご夫妻には影武者らしき存在が確認できる。影武者制度は、皇統をまもるため有事の時に備えるための制度だったと思われるが、戦後、代理人である影武者たちの暴走が止まらない。 ①勝手に活動を行いそれを公務として報道している、➁勝手に影武者が婚約会見を行い皇族の配偶者を決めた、③朝鮮系と思われる女工作員が愛子さまになりすまして女性天皇になろうとしている。公開映像、画像などオープンソースを中心に検証しています。

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